インドネシア 村のギャングリーダー


2012.9.13

インドネシア(中部ジャワ州)にいるといろいろな人との出会いがあります。

以前ひょんなことから、Patiのある村に住むギャングのリーダーという身分の若者と出会う機会がありました。


ギャングというとイメージとしては、シャコタン、大音量のヒップホップ、鎖のようなネックレス、集団行動、麻薬の密売,etc….。といったイメージかと思いますが、この村の若者は、Tシャツにズボンといった普通の格好で現れたのであります。

体格が良い30歳くらいの若者といった感じでしたが、歩き方が妙にお釜っぽく、椅子に座るのもなんだかもじもじしながら座り、しばらくは落ち着きがなく、「ギャングの親玉」という雰囲気はしませんでした。

唯一、Tシャツの腕から少しだけ見える刺青が、「堅気ではないのかも」と思わせるもので、それ以外は普通の若者といった感じで、少し拍子抜けした次第です。

ところで日本の友人から「インドネシアにはマフィアはいるのか?」と聞かれることがたまにあります。インドネシア人から話を聞くと、やはりそういった類の組織はあるようで、表に出てくることはないのですが組織的に違法ビジネスで金儲けをしている集団は存在するようです。

ただしこれはジャカルタやスラバヤなどの大都市でのことで、Patiのような地方都市でマフィアが活躍することはまずないと言っていました。なぜか?というと、どうやら地方でそれに該当するのが「警察」だからということです。

たしかにこちらでは警察の評判はあまり芳しくなく、新聞にも「警官から理不尽に金を巻き上げられた」といった記事をたまに見ることがあります。

ではインドネシア(Pati)でいうギャングとは何かというと、その地域の若者の有力者、オピニオンリーダー、ボスといったニュアンスになります。もちろんそのような地位におさまるためには腕っぷしの強さが必要になります。

vs村の戦いで勝ち上がってきた若者が地域のギャングのリーダーになり、彼に従う子分たちも増え、リーダーを中心とした緩やかな組織を作ることになります。

こういった若者のグループはもちろんPatiで独特のものではなく、インドネシア内では当たり前のように存在します。

彼らが犯罪に手を染めるかどうかはギャングリーダーの器量次第で、彼が悪人であれば窃盗や盗品の販売をする組織が出来上がり、彼がそれほど悪者でなければ、せいぜい村の入り口を通せんぼして、村人以外の外部者からRp1.000(約10円)の通行料金をせしめるといったビジネスをする程度になります。

ところでこのPatiのギャングリーダー。いったい何を生業としているかというと、「金(Gold)の違法採掘」なのであります。

この話を聞き、インドネシアで起業した当初、中部ジャワ州のある山奥を訪れた時に、大勢の人が小さな川で竹ざるのようなものを持ち、砂金の収集をしている作業現場を通りかかり、大いに心を動かされたことを思い出しました。

もちろん金の採掘は政府から許可を得た事業者のみが行うことのできるビジネスです。ところが、違法の採掘業者も存在し、彼らは原生林のようなジャングルの奥地に入り込み、ひたすら金の違法採掘に精を出すのであります。

このギャングリーダーは、こういった違法採掘業者から作業員として雇われ、彼は10人くらいの子分をかき集め、子分達と共にジャングルで一カ月ほど暮らしながら、ひたすら金鉱を掘りまくります。彼の話によると、ジャワ島には金鉱が少なく、スマトラ島に出稼ぎに行っているとのことでした。

1か月スマトラのジャングルに入り込み、給料は月にRp7.000.000(日本円で約7万円)。中部ジャワ州の一般的な給与水準と比較すると破格の給料です。

この給料が手に入ればジャングルでの1か月の隔離生活も全く苦にならないと言っていました。

この金の盗掘ビジネスでリスクは2つあります。

一つは怪我です。実はこのギャングリーダーの彼は本来スマトラのジャングルにいるはずだったのですが、急きょ、けがのため実家のあるPatiに療養のため帰省していたのであります。

盗掘の現場では、金鉱石を一時的に熱処理する工程も盗掘と共に行われており、このギャングリーダーはうっかり熱処理装置に腰かけてしまったため、オシリの皮がずる剥けになるくらいの火傷を負い、けが療養のため帰島したとのことでした。

彼のオカマ歩きやもじもじしたしぐさも、実はただ単にまだ「火傷でオシリが痛かった」からとわかり、彼がオカマでなくて胸をなでおろした次第です。

もう一つのリスクは違法採掘業者が作業費を払わずに行方をくらましてしまうことであります。その場合、子分達にはギャングリーダーが金を払わねばならず、高いリスクを負うことになります。まだ彼は賃金の未払いに遭遇したことはないのですが、良く聞く話だと言っていました。

この写真、ギャングリーダーの実家がある村で撮影したものですが、私の心はもうまだ見ぬスマトラ島にありました。

Sampai Jumpa Lagi,
Koki