2012.8.15
8月15日が近くなると、以前は終戦日の特集が新聞に今より多く組まれていたと思います。
だんだんと戦争を知らない世代だけの世の中になりつつあるで、歴史を証言するコンテンツの役割は大きくなってくるのではないかと思います。
以前Amazonで「ジャカルタ夜明け前(インドネシア独立にかけた人たち)」阿羅健一著という本を購入いたしました。もう絶版になっているため中古での流通のみになります。
この本では、実際に戦時中にインドネシアに行った4人の日本人(民間人、軍人)がそれぞれのインドネシアでの体験をまとめて一冊の本として出版されたものです。
この中で出てくる4人の共通の話は、「敗戦後武器をどうするか?」ということでした。つまり、連合国軍がインドネシアに上陸した後、当然連合国側は武器を連合国側に引き渡せということになります。しかしながら当時のインドネシア在留の日本軍には2つの意見があり、簡単には解決のできない問題であったようです。
・インドネシア独立のために武器は連合国軍に渡したくない。
・武器を連合国軍に渡さないと、日本本国が連合国からおとがめを受ける。
この問題はかなり難しい問題で、ある地域では、「連合国に渡した」、また別の地域では「インドネシア軍に渡した」という決着になったようです。
終戦直後のインドネシアにおける武器の処理を巡っては、「スマラン事件」というインドネシア人と日本人の間で発生した事件がこの本で詳しく書かれています。
武器を日本人から奪い、彼らを幽閉したインドネシア人が、その後日本人から復讐されるかもしれないと恐れ、幽閉している日本人を虐殺したとの内容でした。
スマランは弊社PT. LINTAS JAYA ABADIがある中部ジャワ州の州都で、弊社のあるPati県からは西へ約90㎞の位置にあります。
Patiにも当時は日本軍の拠点があったそうです。
インドネシアは比較的、親日的と言われています。高校では日本語の授業が外国語の選択科目にもなっています。
ジャカルタはたくさん日本人が居るという話を聞いていますが、中部ジャワ州では100人くらいしかいないと聞いています。
いつか機会があれば相棒のイカサンに、インドネシアの学校ではこの戦争についてどのような教育がされているのか聞いてみたいと思います。
Sampai Jumpa Lagi,
Koki