インドネシアと隅田川


2012.8.20

インドネシアの断食月明けの祝日はおおよそ10日ほど続きます。

その間は遠方からの家族はもちろんのこと、旧友、近所の人などが互いの家を行き交い親交を温めます。

 

インドネシアに滞在していると、誰かの家に招待されるということが結構あります。これはこの祝日以外の時でも通常の出来事としてあるもので、私自身もPanjunanの自宅兼事務所に取引先を招いて夕食を共にすることもあります。

 

日本ですと、お客様や取引先と夕方仕事が終わったあと食事をするのは外食で、家に仕事関係者を招いてというのはめったにありません。

 

インドネシア(主に中部ジャワ)で夜、仕事関係者と外食をする機会がない理由の一つとしては、インドネシア人は家族と過ごす時間を非常に大切にします。そのため、業務が終わった後にも誰かをもてなす事態が発生した場合には、いっそ自分の家族と一緒に彼らと食事をしたほうが良いということもあります。

 

また、食事をしながらレストランでくつろぐといった風習があまりなく、食事をしたらなるべく早めにレストランを出るという雰囲気がこちらにはあります。もちろん中部ジャワでは酒を出す一般的なレストランはまずありません。

 

「今日私の家で食事をしてゆきませんか?」と誘われた場合日本では「いえいえ、それは恐縮ですので・・・・」と必ずまずは断りを入れます。もちろんこのような状況はめったにないのですが。

 

ところが中部ジャワではそのようなことが結構あり、もし誰かに誘われた場合、基本的に断ることはしません。むしろ断ることは相手を傷つけることになるのであまりよくないと言われています。

 

これは日本人とインドネシア人の文化、性質の差がくっきり表れていると思います。

 

以前日本に短期留学をしていたインドネシア人から話を聞いたことがあったのですが、日本人が「ビシッと断る」のを日本滞在中はとても辛く感じていたと言っていました。ですので、彼のアドバイスとしては「好意で勧められたものに対しては断らないで」ということでした。

 

この川は以前住んでいたLuboyo村のそばを流れる小川です。このような川が村のあちこちに存在しています。

 

写真の川は多少きれいな川ですが、通常はもっと汚く、ごみは平気で川に浮いています。

 

昨日の日経新聞の夕刊に「ハゼ踊る隅田川」という題名のコラムを目にしてインドネシアの川にまつわる出来事を思い出しました。

 

Luboyo村の借家は最初トイレがなく、トイレを作る工事を近所の工務店に依頼したことがあります。彼らは仕事が終わった後、たいがい借家近くの川で釣りをしていました。その時期は雨期でもあり、大の大人が川に網を貼り、自分の子弟にバケツを持たせて大はしゃぎで数人で釣りをするわけです。

 

この川ですが、インドネシアで良く見る完全なるどぶ川です。

 

このインドネシアの汚れた川ですが、なぜだか魚は結構います。この汚れた川に魚がいるのが本当に不思議でした。

 

夕刊のコラムには1960年代の隅田川がタールで汚染されていたとのコメントがありました。Luboyo村の川はタールのような黒いものは浮いていませんが、川面がごみでかなり埋まっています。

 

最初工務店の人々が釣りをしているのを眺めながら、「この魚、観賞用か何かかな?」と思っていました。このゴミだらけの川の魚を食べるとは到底思えなかったのです。

 

トイレ工事が終わりのころ、ある日工務店の棟梁に「この魚どうするんですか?」と聞くと怪訝そうな顔をしながら「Makan saja(食べるんだよ)」とのこと。

 

その時ちょっと嫌な予感がしたのですが、何もないことにしておきました。

 

翌日も雨が降り、雨がやみ、みんなで釣りをするといういつものパターンが始まったのですが、釣りの終わりころ棟梁が家に来て「今日は大漁だったから魚分けてあげるよ!!」とのこと。バケツに20匹ほどこんな感じの小さい魚が泳いでいるではありませんか!?

 

よく気が利く棟梁で、料理も私の隣の家のマダムにもう既に頼んでいてくれ、「後でマダムが料理してくれるから、みんなで分けて」と颯爽と帰途に就くのであります。マダムもうれしそうで「あ~この魚はGoreng(油で揚げる)だね」と言ってバケツを持って引き上げてゆきました。

郷に入れば郷に従え、のことわざのとおり、「好意で勧められたものに対しては断らないで」を実践したのは言うまでもありません。

 

隣のマダムがお手製のSambalと一緒に揚げた魚を夜持ってきてくれました。

 

インドネシアで起業した初期に経験した思い出です。

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Samapi Jumpa Lagi,
Koki