インドネシア コーヒーとコピルアック 3


2012.12.19

何年か前、退職する前の職場に在籍していた頃、アメリカに出張で行ったことがあります。この出張ではアメリカ人と一緒だったのですが、その際2人でアリゾナにある地元のレストランに入りました。

 

私が地元の人間ではないことはすぐにわかります。2人の店員が我々のテーブルにやってきて、私が日本人だと知ると、彼らは我々に尋ねました。「F○○Kというスラングを日本語に訳すと何というのか?」と。

 

もちろんこのスラングは知っています。アメリカ人からは絶対に使用してはいけないと言われているあの有名な言葉です。これを訳すると??

 

私と一緒にいたアメリカ人は日本語が非常に堪能だったのですが、彼は店員に説明しました。「ビタリと当てはまる言葉は日本語では存在しないが、あえて訳すると“Yaro”かな!?」と。Yaro、つまり野郎です。

 

2人の店員はGreat!!、Fine!!、Thank you very much!! と喜び勇み厨房に戻ってゆきました。Yaro○○!!  Yaro××と叫びながら。もちろん○○、××の中には人の名前が入ります。全くもって陽気なアメリカ人たちでした。

 

ところで昨日のブログ、インドネシアからのコーヒー生豆輸出の話に戻ります。

 

無事日本へコピルアック生豆が輸入できることが確認され、後は製造プロセスを確立するだけの問題でした。おおよその空輸費用は見当がついているのですが、昨日登場した中部ジャワの州都スマランの乙仲業者に正式に見積もりを依頼することにしました。輸出に関してOra opo opo(問題ない)!!といっていたあの業者です。

 

一般的に貿易業では相手国に「輸入」が出来ることが分かればあとはもう問題はありません。よほど特殊なものでもない限り、輸出は出来るはずです。コーヒー生豆はインドネシアではありふれたコモディティーです。鉱物資源や内需への供給を妨げるタイプの製品、食糧に該当するものではありません。そのため何の心配もすることなく、この乙仲業者に見積を依頼したのであります。

 

この間、コピルアックのビジネスを立ち上げるためPatiで様々な準備をする必要がありました。精製場所や設備の手配、人はどうするか・・・・。これらの問題を相棒のイカサンと一緒に片付けていたのです。

 

コピルアックのビジネスというのはそれほど大きなビジネスではありません。しかし、Patiの小さな村で精製をし、外国へ輸出するとなると、いろいろなしがらみがあります。そういった諸問題を事前に防ぐため、村の役場や近隣住民にある程度の根回しは必要なのです。

 

ところがそうこうしているうちに、あの乙仲業者から見積が来てないことに気が付きました。よくあることです。催促すれば1時間でメールが来るのですが、催促しない限りは1週間でも2週間でも放置。残念ながらこれはインドネシアの会社に限ったことではないのですが・・・・。

 

そこで彼らに連絡してみると、「もうすぐ見積が出ますのでしばらく待ってください」と。まあ、毎度のことなので気にもしなかったのですが、それからまた1週間経つもやはり見積が出てきません。

 

そろそろ「どうなってんだ??」と思い、しびれを切らして連絡してみると、実は・・・・。

 

彼らの言うことが最初理解できませんでした。「コーヒー生豆は一般企業は輸出できない」とのこと。

 

「何いってるんだ?? コーヒーだぞ!? コーヒー!!  ヒコーキじゃないぞ!!」最初彼らは何か勘違いをしているかと思いました。輸出アイテムはコーヒー生豆です。何ら問題は無いはずです。しかしふとある人から聞いた言葉が頭をよぎりました。「インドネシアというのは輸入も難しいのですが、それ以上に輸出はもっと・・・・」。

 

ジャカルタのある日系乙仲業者の担当者の方から聞いた話です。とても嫌な予感がしました。そしてすぐにインターネットで関係法令を調べてみることにしました。そうすると確かにありました。それに該当するような法律が。

 

一応念のため、スマランの乙仲業者に「ひょっとしてこの法律があるためコーヒー生豆は輸出できないのか?」と確認してみました。答えは「イエス」でした。

 

頭の中にあの陽気な2人のアメリカ人が登場しました。アリゾナのレストランで出会ったあの2人の店員です。そして自然と口から言葉が出てきました。“Yaroスマランの乙仲!!!!”と。

 

もう最悪でした。Panjunanでの準備は着々と進んでいます。設備も既に発注しました。イカサンはこのビジネスを手伝ってくれている人を探してくれています。精製する場所のめどもつき、村役場への根回しも順調です。

 

それにも拘わらず「コーヒー生豆が輸出できないからコピルアックのビジネスは取りやめ!?」

 

あり得ない決断でした。しかしどうしようもありませんでした。インドネシア共和国の法律の問題が立ちはだかっているのです。Panjunanの事務所で力なく呟いてみました。“Yaroコピルアックのビジネス”と。

 

ますます落ち込むだけでした。そしてもう一度同じ言葉をつぶやいてみました。“Yaroコピルアックのビジネス”。

 

ここまで来たのに絶対にあきらめるわけにはゆきませんでした。必ず何か手があるはずだと自分に言い聞かせました。そしてまたつぶやきました。「やろうコピルアックのビジネスを」と。

 

すぐにイカサンと連絡を取り、その晩彼と対策を練ることにしました。

 

美しい夕方のアザーンの音色がPanjunanの村に広くこだましていました。

 

私とイカサンのいつもの外出風景です。

 

Samapi Jumpa Lagi,

Koki