インドネシア AKB48


2012.8.29

インドネシアフェスティバルと言うイベントが毎年7月頃に代々木公園で開かれています。

 

このイベント、どれくらいの歴史があるのかよくわかりませんが、2010年の7月のフェスティバルに行ったことがあります。

 

ちょうどインドネシア語を勉強し始めて半年がたったくらいのことで、インドネシアに対する興味が尽きない時期でした。もちろん、この時点ではインドネシアにまだ行ったことがありません。

 

このイベントでは日本在中のインドネシア人が公園内でインドネシア料理の屋台を開いたり、Gamelan(ガムラン=インドネシア伝統音楽)の演奏会が行われるお祭りで、大勢のインドネシア人を見たのはこの時が初めてでした。

 

この時は私の知り合いの外国人が数人来日しており、観光がてら代々木公園を散策するという中でインドネシアフェスティバルを楽しんだのですが、たまたま、代々木競技場のそばをぶらついていると、たくさんの人々がたむろをしています。

 

何かのコンサートだとは思ったのですが、係の人に誰のコンサートか聞いてみると「エーケービーです」とのそっけない回答。

 

「それはアイドルか何かですか?」と再び聞くと、呆れ顔で「ええ」とだけ。

 

その後家に帰り、「エーケービー」とは「AKB48」というアイドルグループだったのだと納得したのを覚えています。

 

よく、「インドネシアは対日感情がよい」と言われますが、確かにそう思います。AKB48がその理由の一つになっているのではないか? と思われるくらい中部ジャワのPatiでも若者から絶大な支持を受けています。

 

中学生や高校生の友人がPatiにはいるのですが、彼らからも「AKB48にはあったことがあるのか?」、「AKB48の中でKokiは誰を支持しているのか?」「Akihabaraってどんなところなのか?」と言った質問をよく受けます。

 

ちなみにAKB48AKBが「秋葉原」から来ていることを、私は彼らからの質問で初めて知りました。

 

インドネシアのインターネットニュースでも前田敦子さんの卒業は大きく取り上げられておりました。

 

こういったアイドル、コスプレなどの分野では日本はインドネシアではかなり突出していると思います。日本では全く聞いたことがないコスプレロックグループも、ジャカルタ近郊の若者の間では毎回雑誌に取り上げられるようなBigな扱いです。

 

また、初めて会うインドネシア人から良く聞かれるのは「心の友」は歌えるのか?です。

 

この歌は五輪真弓さんの古い歌で、多くのインドネシア人がこの歌を空で歌うことが出来ます。学校で教わると聞いたことがあります。

 

インドネシア人からこの歌を聞くまではこの歌の存在も知りませんでした。いまYoutubeでご本人が歌っているのを聞くと、いい曲ですね。

 

今はこの分野では日本はインドネシアにとって「輸出国」でありますが、いずれはインドネシアの歌謡文化の「輸入国」にもなることが出来ればいいなと思っています。

 

私がインドネシアに滞在している間の感覚では、インドネシアのポップス文化たぶん日本でいう、1980年代くらいの隆盛の雰囲気を感じます。

 

いろんな歌手をテレビやYoutubeで見ますが、中には抜群の歌唱力を誇る歌手もいます。

 

 

今日の本題とは関係が全くありませんが、Panjunanにある事務所兼自宅の隣の廃屋を激写したものになります。

 

ちなみに私が好きなインドネシアのポップスは、Glenn FredlyKasih PutihDewikLebih Darimu

 

 

 

です。

 

Toko Kecilのマダムの御嬢さんにこの話をしたら「アンタ古いね~!?」と言われました。

 

Sampai Jumpa Lagi,
Koki