インドネシア 貿易の歴史1


2012.11.02

インドネシアへの小売業の進出が進んでいるという記事を最近よく目にします。

 

計画段階の案件を含めると、日本に限らず世界が注目する東南アジア。中でもインドネシアは人口が多いこともあり、各国ともこの国で利益を上げることに必死なようです。

 

インドネシアの中近代の歴史を貿易という観点から見た場合、外すことが出来ないのはオランダ東インドネシア会社です。

 

何回かに分けて、インドネシアの貿易史という観点から現代のインドネシアに関する考察をブログに書いてまいりたいと思います。

 

鎖国時代、唯一欧州で日本との貿易を許されていたオランダ。貿易を取り仕切っていたのはオランダ東インド会社です。

 

オランダ東インド会社というと、オランダの東南アジア植民地政策の先兵といったイメージを持ちますが、貿易会社でもあります。そのため日本やインドネシア以外にも台湾、インド、ペルシアにも商館を持ち貿易活動をしておりました。

 

貿易活動の中で、最もオランダに利益をもたらしたのは日本との交易といわれています。日本がオランダから輸入するものは織物、生糸、皮製品が主なものでしたが、日本がオランダに輸出するめぼしいものがなかったため、ほとんどすべて、金、銀、銅で支払いをしていたということです。

 

オランダにとって、これほどうまい商売はなかったのではないでしょうか。現代のようにさまざまな情報が入手できるわけでもなく、当時は商品の価値と貴金属の価値を評価できる人が日本には存在しなかったのではないかと推察します。

 

しかも欧州諸国の中では、オランダが日本との交易を独占した為、なおさら情報が絞られていたのでしょう。

 

さて、オランダ東インド会社とインドネシアの関係です。

 

東インド会社がインドネシアに進出した当初、貿易自体は正常なビジネスだったと言われています。つまりオランダ人とインドネシア人は、製品の価値に釣り合う価格をお互いに相談して決めていたのです。

 

ところが徐々にオランダが一方的に価格を決める、いわゆる「義務供出制」といわれる制度に移ってゆきます。つまりオランダが一方的に買い取り価格を決めてしまうわけです。17世紀末のことです。

 

この間、約100年。

 

当初は正常な取引だったものがなぜオランダ優位の状況になってしまったのか?これはすなわち植民化の過程に他ならないのですが、これを紐解くにはおそらくオランダの独立、ヨーロッパの歴史と、16世紀の大航海時代まで言及する必要があるかと思いますので、ここではいくつかのポイントを記載するにとどめたいと思います。

 

1. 当時支配的な地位にいたポルトガルやスペインからジャカルタを守る。その代り有利な条件で貿易を行う。という条約が徐々にエスカレートしていった。

 

2. 度重なるインドネシア国内で発生した内戦、つまり王国に対する反乱にオランダが干渉して、王国側に武力加勢したため、王国はオランダの後ろ盾なしには成立しえなかった。

 

3. 当時インドネシアで勢力を誇っていた最後の強敵イギリスをオランダは完全にインドネシアから駆逐することが出来た。つまり、オランダが独占的にインドネシアを支配下に置く素地が出来上がってしまった。

 

その他複雑な要因や原因が絡み合い、オランダがインドネシアを支配する状況が発生したと思います。インドネシアから安価に買い上げられた、もしくは「徴収された」香辛料や砂糖などはオランダを通してヨーロッパ各地の市場に行きわたり、オランダはたいそう潤ったようです。

 

しかしながらインドネシアは反対に疲弊してゆきます。今まで農作物を作っていた畑や水田が例えばサトウキビ畑に替えられ、しかもただ同然で引き渡さざるを得ないとしたら、インドネシア人にとっては相当こたえたはずです。

 

このような状況が発生すると、今までは貿易としてオランダからインドネシアに輸入されていた生糸や織物といった製品は全くインドネシアでは売れなくなります。あまりにも疲弊しすぎたため、彼らの購買力がなくなってしまったのです。

 

つまりオランダからすれば、すでにインドネシアは貿易の相手国ではなく、原料をただ同然で吸い上げるための供給国でしか、価値がなくなってしまったわけであります。

 

オランダ東インド会社は日本との交易では金をはじめとした貴金属を獲得し、インドネシアとの貿易では、ただ同然の原料を得てヨーロッパ市場で販売した為、近世ヨーロッパでの強国の地位も確保できたのではないかと思います。

 

インドネシアとオランダの貿易の話、次回はコーヒーにスポットをあててブログを書きたいと思います。

 

                       

中部ジャワ州Jeparaから見たジャワ海です。この付近にRembangというティーク材の産地として有名な地域があります。ティーク材は当時、良質な船の材料として欠かすことのできない木材でした。

 

オランダはこのRembangを抑えたことにより、海軍力が上がったといわれています。

 

 

Sampai Jumpa Lagi,[full][/full]

Koki